リンネって何した人? 自然の体系を作った人 

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リンネは何した人? 自然の体系を作り上げた人である 

ホモサピエンスもゴリラのあれも自然の体系から

我々ヒトはホモ・サピエンス。知恵のある、人間という意味だ。

犬はCanis lupus familiaris、順に犬、狼、ファミリーという意味だ。つまり家畜化された狼ともいえる。

ヤブツバキはカメリア・ジャポニカ、日本のカメリアだ。

また、たまに言及されるところで有名なのは、ニシゴリラの学名はGorilla gorilla。そしてその亜種である西ローランドゴリラの学名はGorilla gorilla gorilla。

そしてこれらの学術的な分類名、学名を始めたのがリンネ分類で有名なリンネである。

リンネの著作である「自然の体系」によりこうした標準的で統一された、現在の我々が使う生物の分類が始まったのである。

カール・リンネ スウェーデンの天才植物学者

カール・リンネ(Karl Linné)は、ラテン語名のカール・リンナウス(Carl Linnaeus)としても知られる18世紀のスウェーデンの植物学者だ。医師、動物学者でもある。

彼の分類システムは生物の分類の基礎となり、今日でも使用されている。彼は1707年にスウェーデンのローシュルトに生まれ、早くから植物や自然に興味を示していた。ルンド大学で医学を学び、後にウプサラ大学で植物学を専攻した。

Välkommen till Uppsala universitet

リンネはスウェーデンの動植物を調査・記録するため、特にスウェーデン国内において何度か探検を行った。

そして1735年に出版された彼の最も有名な著作『Systema Naturae』は、動物、植物、鉱物の階層的分類体系を示したものである。この著作は版を重ね、拡張され、生物分類学の礎となる。彼は属名と種名に初めてラテン語名を使用し、異なる言語や地域にまたがるヨーロッパでの学名の標準化に貢献したのだ。

こうして標準化した動植物のラテン語名は彼の発案したときから現在まで長期にわたり使用されており、世界に広まっている。今や欧米だけでなく、言語の壁を越えて生物多様性に関する科学的コミュニケーションを可能にしている。

分類学への貢献に加え、リンネは先駆的な生態学者でもあった。

彼は「自然の経済」という概念を導入し、後の生態学理論の基礎を築いた。また、医療、農業、工業に役立つ植物を研究する経済植物学にも大きな影響を与えた。リンネは当時最も高く評価された科学者の一人であり、他の一流の科学者たちと交流し、スウェーデンの爵位を含む数々の賞や栄誉を受けた。

リンネへの批判

批判としては彼の分類法、特にヒトに関する分類法は、ヨーロッパ中心主義的であり、人種的固定観念を蔓延させているとして批判されてきた面も一部からあるようだ。彼が人間を道徳的、知的特徴を持つ異なる人種に分類したことは、後に社会的階層を正当化するために利用されたともいわれる。

また彼の採集方法は必ずしも先住民の知識や習慣を尊重していたとは限らず、植民地化された土地の自然資源を分類し所有権を得るという植民地主義的なプロジェクトに貢献したとの批判もある。

リンネの影響

彼の分類システムは種の関係について構造的に考える方法を提供し、進化論の発展にも貢献した。例えばアルフレッド・ウォレスと並ぶ進化論の大家チャールズ・ダーウィンはリンネの分類学に深い影響を受け、彼の自然淘汰理論の背景となったとも言われている。

医学の分野にも大きな影響を与えた。医師でもあった彼は植物の薬効に関心を持ち、彼の研究は、新薬の探索のために植物や植物由来の物質を研究するヨーロッパでの「生薬学」の基礎を築いた。彼の『マテリア・メディカ』はこの分野の代表的なテキストで、何百もの薬用植物の特性を列挙している。

さらに彼は自然保護の概念の先駆者でもあった。種が絶滅する可能性があることを最初に示唆した一人であり、それは当時としては画期的な考えであった。現代の自然保護活動や絶滅危惧種という概念の基礎を築いたともいえる。

教育の面では、リンネは熱心な教師で多くの生徒を育てた。その中には自らも著名な科学者になった者もいる。またしばしば「使徒」と呼ばれる彼の弟子たちは世界中を旅して標本を集め、リンネの分類体系をさらに強固なものにした。

スウェーデンでは、リンネはさまざまな記念碑や博物館、さらには彼の名を冠した大学によって祝われている。彼の生家は博物館となり、スウェーデン最古の植物園であるウプサラのリンネ庭園は彼の業績を伝えている。

リンネは1778年1月10日に他界したが、彼の遺産は植物学、動物学、分類学の分野に影響を与え続けている。また彼のコレクションはロンドンのリンネ協会に保存されている。

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リンネ以前の命名法は?

ではリンネ以前の時代の命名法はどうだったのか?

一般市民はともかく、リンネが体系的なアプローチを導入する以前は動物の命名と分類は一貫性がなくまさに学者の間では混乱していたといえる。

リンネ以前の時代には、動物(および植物)は一般的に、その土地の言語や民間伝承、地域によって大きく異なる説明的な表現に基づいて命名されていた。つまり一般市民と科学者の持つ名称の知識がほとんど同じな訳である。

これらの名前はしばしば、物理的特徴や生息地、用途を説明するものであった。一概に不便ではなくメリットも存在していた。ただし標準化された形式を持たなかったため、ひとつの種に対して多数の名前が存在したり、逆にひとつの名前が複数の異なる種を指すこともあったのだ。

ラテン語やギリシア語についても学術的な著作で頻繁に使われたが、その用語は簡潔な名前ではなく、長い説明的なフレーズであった。例えば、ある種はその最も顕著な特徴を説明する文章全体によって言及されることもあったが、これは迅速な同定や比較には明らかに実用的ではないのがわかっていただけると思う。

ここまでリンネの分類が広まった理由

先述の通り、彼の命名法は二命名法として知られ、それぞれの種に、属名の後に特定の形容語からなる二部構成のラテン語名を付けた。この方法には以下大きく3つの利点があり広く採用されるに至ったといえる。

異なる言語や地域にまたがっての一貫した簡易な命名のルールを提示した。

生物を科、属、種などの入れ子構造に整理する多段階の階層的な分類システム(分類学)を導入した。これにより、異なる生物間の関係や類似性の研究が容易になった。

命名にラテン語を選定した。ラテン語はヨーロッパの学術文化的に広く長く中立であった。それに以前から分類で使われることはあった。そのため言語を超えて安定している上に心理的な障壁も学者の間では少なく受け入れられやすかったといえるだろう。

英語や日常語の命名のがよかった?

最後のについては冗長で普段使われないラテン語より、今から考えれば英語であったら分類だけでなくもっと意味も直接に多くの人にわかりやすかったと思うかもしれない。または、スウェーデン語にして他の言語では翻訳をすればよかったのにと思う方もいるかもしれない。

しかしリンネの18世紀当時の国際情勢のパワーバランスを考えれば英語やスウェーデン語は、フランスもスペインもオーストリアも受け入れずスウェーデンでひっそりと目立たずこの命名法は消えていたことだろう。方法だけで言語を統一しない場合もこれほど一貫して広がらず、生物の発見のたびに個別の言語の間で照らし合わせが必要になる可能性もでてくる。

こうしたことを考慮すると一般市民には意味のわかりずらいラテン語でも、安定した分類がヨーロッパ諸国内で統一できたことの意義は大きいといえるだろう。

もちろん各国や各地域、場合によってはコミュニティが持つ植物動物の呼び名はそれぞれが独特の味わいや趣や歴史のあるもので、ときには人間味や人の知恵をより感じることが多いかもしれない。しかしそれとは別に、あくまでリンネは科学的に生物を分類する上での命名法という生物学の一つの大きな基礎を作った人物といえるだろう。

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